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大光通信社 HOME > COLUMN > コラム04 旅はベトナム・ファンティエット/ムイネーに在り<旅コラム>
本誌の「旅は・・に在り」企画では、これまでに中国の杭州、厦門、青島、海南島を取り上げてきました。こうしたなかで、中国もいいがたまには他の国もとりあげてはいかがか、というお声も読者の方々から頂戴しました。この声にお応えして今回はベトナムのファンティエット/ムイネーをとりあげます。フランス統治時代からベトナムでは各地にリゾートが作られてきました。ベトナムのリゾートといえば、ビーチとして有名なニャチャン、ダナン、フーコックや高原都市ダラットなどが挙げられます。
海に面したリゾートホテル・ノボテルファンティエット
しかし、これらのリゾートはいずれも首都ハノイからも、商都ホーチミン市からも、国内線の空路に拠らねばなりません。今回はホーチミン市から車で3時間半ほどで行ける比較的近いリゾートとして、ファンティエット/ムイネーを取り上げてみました。
ガイドブックなどでもファンティエット/ムイネーとひとくくりでとりあげられることの多いこの場所は、ファンティエットとムイネーという長い海岸線が連なった隣り同士の街です。さしずめ、長野県の有名な温泉地、戸倉/上山田か、はたまた上越新幹線の駅名として知られる新潟県の燕/三条に比するといったら分かり易いでしょうか。ではさっそく、戸倉・上山田ではなかったファンティエットから紹介しましょう。
ファンティエットの市場では名物・ヌックマムが売られている
ファンティエットはホーチミン市から東へ約200km、南シナ海に面し古くから漁港として栄えてきた街です。近年、海岸沿いに大・中型ホテルが建ち並ぶようになりました。プールはもちろん、ホテルのすぐ前にゴルフ場を備えた本格的なリゾートホテルもあります。夜ともなりますと、よく整備され街灯もついたビーチロードは観光客やカップルの格好の散歩道となっており遅くまでにぎわっています。ここはまた魚醤・ヌックマムの産地としても良く知られています。街の市場に行きますと、干物のイカや魚にまざって、ツーンと鼻をつく独特の臭いが漂ってきます。しかし、ヌックマムそれ自体は、今は密封されたビンに入っており、ほとんど臭いは発しません。蒸し返るような南国の熱気と干物が臭いの主な原因です。こうした地元の名産品をベトナム人はもちろん、外国人観光客も興味津々で買い求めていきます。
ホテルのスタッフに聞いたところ外国人宿泊客で多いのは、一番がロシア人、二番が韓国人で日本人は三、四番目とのこと。実は、ベトナムは歴史的に隣国・中国よりも旧ソ連・ロシアとの結びつきが強く、今でも北部の若者たちの留学先の1位がロシアであることが、そのあたりの事情を表わしています。専門家のなかには、ロシアとの結びつきの強さが、ベトナム経済の強味でもあるが、弱味でもあると指摘する人もいますが、本題ではないのでここでは論及しません。ちなみに南部の若者たちの留学先の1位はアメリカ、2位はオーストラリアで、日本はここでも3、4番手。
アメリカと日本はともかくオーストラリアが2位というのは、地理的に近いのと、卒業したら就労や滞在延長のビザが比較的容易に取得できるからとのことです。
チャンパ王国の名ごりをとどめるポー・ハイ遺跡
日本の88%ほどの国土面積ですが、日本以上に南北にゆるいS字型を描いたこの国の、北と南の違いや、国情の一端がこんなところからも見えてきます。ファンティエットとムイネーの間は約20kmですが、ほぼその中間地点の少し海に突き出た小高い丘の上に2つの茶色の塔が見えます。8~10世紀頃に栄えたチャンパ王国のポー・ハイ遺跡です。かつては雑然としていましたが、今は新しい記念碑にベトナム語と英語で記された碑文が、日本ならば奈良時代~平安時代の頃に栄えたであろう往時をしのばせます。
ちなみにチャンパ王国というのは2世紀末~7世紀頃までにベトナムの中・南部にたてられ
17世紀まで続いた国です。創立年代に幅があるというのも南国らしいおおらかな感じがします。チャンパという言葉自体は古代インドに栄えた都市の名前に由来するといわれます。インドの影響下、扶南と共にインドシナ半島に栄えたカンボジア系の国とも言われています。その後、ベトナム民族(キン族)が南に移動するなかで、一部は同化し、一部はカンボジアやタイへ移住したと見られています。北緯17度線から南へ海岸線に沿って点点と、こうした遺跡が残されています。こんな歴史の一端がここファンティエットとムイネーの境目のところでも見ることができるというわけです。
ポー・ハイ遺跡を過ぎて少し走ると、きれいな海岸線に並行する道に出てきます。この辺りからムイネーに入ります。
ファンティエットは街自体もにぎやかで、ホテルも比較的高層な建物が多いのが特徴です。それに比べるとムイネーはコテージ風の低層な建物が並んでいます。7~8年前に何度か訪れた時はまだまばらだったのですが、今はビーチに沿ってびっしりとホテルやレストラン、土産物店が並んでいます。 ここのほぼ中心部にあるのが老舗ともいえるサイゴンムイネーリゾートホテルです。プールやレストランは改装したものの以前と同じでした。
ファンティットからムイネーまで弓状のビーチが続く
海に面したコテージは、風情は残しながらも鉄筋2階建に変わっていました。
この老舖ホテルのすぐ近くに、ベトナム女性と結婚したイタリア人が始めたというイタリアンレストランがあります。グッドモーニングというその店は今もイタリア人マネージャーが切り盛りしています。ただ初代オーナーは中国の方にビジネスのウェイトを置いてでかけていると、2代目マネージャーのマシモさんというミラノ出身の人が説明してくれました。このあたりはベトナム料理店はもちろんのこと、イタリア、インド、中国、韓国といった国際色豊かなレストランが軒を並べています。そしてここでも目立つのがハングル(韓国・朝鮮語)の看板で、こんなところにも世相というか国際的な勢いを感じさせています。
ムイネーは漁港もあり、たくさんの漁船が停泊していますが、特に高台から臨む港と漁船の点在する様は何とも言えない情景を掻き立ててくれます。なかには「佐渡情話」にでてくるたらい舟そっくりの小舟も浮かんでおり、さらなる情緒を感じさせます。
ムイネーの港の先の丘には、これまた日本の鳥取砂丘を想起させそうなミニ砂漠もあります。黄砂の砂丘と呼ばれるここに観光客が立ち寄りますと、一斉にプラスチック板のサンドスキー(ソリ)を勧める子供たちが群がってきます。赤茶けた砂の粒子が細かいために、雪のように滑れるのだそうです。
一方、こうした牧歌的な風景のすぐそばで、ご多聞にもれずリゾートマンションの開発も進められており、大きな看板がいやでも目に飛び込んできます。庶民の月収が1万円強といわれるベトナムで、この手のリゾートを手に入れることのできる人は、どんな層なのだろうかと首をひねりたくなります。
中国の改革解放に倣ったドイモイ政策の導入から約30年。ベトナム経済も目覚ましい発展を遂げつつあります。その一方で、年率10~15%に達するインフレと貧富の格差の拡大、さらには役人のワイロ体質と、負の側面も、隣国・中国を見習ったかのようです。
社会主義を標榜する国が少なくなるなかで、中露(ソ)の間のバランスを巧みにとり続けてきたのがベトナムです。しかし、ここに来て、中国の海洋進出に対抗するかのように、アメリカと共同演習をするなどしています。また、周辺のインドネシアやフィリピンとの連携も強めています。これら3ヶ国はゴールドマンサックスが、BRICS(ブリックス)の次の成長国として名付けた「ネクスト・イレブン」の国々で、日本の約2倍、2.4億人の人口を擁するインドネシアを筆頭に、共に東南アジアの成長国として注目されています。最近ではそれぞれの国の頭文字をとって「VIP」などとも呼ばれており、新たな期待も高まっています。
歴史を遡ると、ベトナムは3度にわたる元の襲来を打ち破りました。また第2次大戦後に限っても、ディエンビエンフーでフランスを、ベトナム戦争ではアメリカを、そして中越戦争では中国を、それぞれハネ返し、撤退させました。こうした歴史に加えて、地勢学的にも、VIPの中心に位置していることから周辺国の寄せる思いが強いともいえるのでしょう。
ファンティエットからムイネーに連なるのどかな南シナ海をみていますと、こうした国際政治の荒波とは無縁のように思えてきます。私が訪れた時も、どこまでも青々と続く穏やかな海原が広がっていました。
【文・写真】
坂内 正(ばんない ただし)
ファイナンシャルプランナー、総合旅行業務取扱管理者。元政府系金融機関で中小企業金融を担当。退職後、旅行会社の経営に携わり、400回以上の渡航経験を持つ。ロングステイ詐欺疑惑など、主にシニアのリタイアメントライフをめぐる数々のレポートを著す。
著書に『年金&ロングステイ 海外生活 海外年金生活は可能か?』(世界書院)
『情報と調査』編集委員